Intel Macと相性の悪いプラグインの記事でも触れた「コーダ切れの作成」プラグイン。このプラグインが付属したのはFinale 2006。じつにFinaleが産声を上げてから17年目のことである。それまでは、コーダ切れのレイアウトを作成するにはとても面倒な作業を行う必要があった。楽譜表記としては極めて一般的な「コーダ切れ」の作成に長年不便を強いられていたことに対して、「コーダ社(MakeMusicの当時の社名)だけに『コーダ切れ』は縁起が悪いから、あえてコーダ切れをさせないようにしているのでは?」などと揶揄される始末だった。
さて、この「コーダ切れの作成」プラグインの搭載のおかげで、確かにコーダ切れレイアウトの作成は容易になったのだが、そもそも、Finaleにおけるコーダ切れレイアウトの考え方には根本的な設計上の問題があり、一見上手く処理しているように見えても、蓋を開けてみればいろいろな矛盾を抱えていることが分かる。
本来、コーダ切れとは、ひとつの組段の途中に空白が挿入されたものと考えるべきものである。これはコーダ表記の変遷をみてみるとよく分かる。
コーダ部はもともとa.のように書かれていたものが、コーダ部の前後には音楽的な脈絡はないので、それを明示するためにb.の表記が現れる。さらにそれを強調したのがc.の表記なのだが、もとより既成の五線紙の上に音符を書くしかない作編曲家にこの表記は不可能なので、c.の表記は自ら自在に五線を引くことの可能な浄書家ならではの発想だと言えよう。
さて、Finaleの場合、分断された五線はあくまで別々の独立した組段なので(下図の組段番号参照)、コーダ切れを作成後に「組段の均等配置」を行うと思わぬ結果となってしまう。
ひとたびコーダ切れレイアウトを作成してしまうと、小節割りの変更等でコーダ部が段頭になり、コーダ切れが必要でなくなった場合に、もとの1本の組段に戻すのは少々面倒である(上記の「組段の均等配置」を逆に利用するのが近道だが)。
さらに、コーダ切れの前後の小節割りを変更したり、スペーシングが大きく変化するような修正を行った場合、コーダ切れを挟んだそれぞれの組段の左右マージンは自動的には調整されず、スペーシングバランスが崩れたままになってしまう。こうなった場合、このバランスは手動で調整しなければならない。
また、「組段の最適化」または「五線を個別に移動可能にする」コマンドを行って五線の間隔を組段ごとに独立して変更可能にした状態で、コーダ切れの部分のどちらか一方の組段の五線の間隔を調整した場合、浄書的にはもう一方の組段の五線間隔もそれに追従しなければならないが、Finaleの場合は互いに独立した組段なので、当然のことながら追従はしてくれず、自己責任において左右の五線の垂直位置を揃えなければならない。
以上のことから、「コーダ切れの作成」プラグインは、小節割り、五線間調整、段間調整等のすべてのレイアウトが決定した後に使用するのが望ましいということになる。
ちなみに、Finaleのライバルソフト、Sibeliusのコーダ切れレイアウトの仕様はじつに理にかなっている。Sibeliusでは1段の五線が何本に分断されようと、あくまでひとつの組段として扱われるため、上記で述べてきたような問題は一切生じない。さらに、コーダ切れを元のつなげた状態に戻したい場合もじつに簡単だ。コーダ開始部分の左小節線を左にドラッグして直前の右小節線に重ねて離すだけで自動的につながるのだ。このインターフェイスはじつに小気味よく、初めて体験したときは思わず笑みさえこぼれてしまう。これを体験してからFinaleのコーダ切れに対面すると、何とも憂鬱な気分に陥ってしまうのである。
そこまでSibeliusの肩を持つのであれば、Sibeliusに鞍替えすれば?と思われるかもしれないが、逆にFinaleに簡単にできてSibeliusにできないこともたくさんある。どちらにも長所があり短所もあるのだ。
Finaleがコーダ切れをSibeliusの仕様に作り替えようとすると、おそらく抜本的な設計を見直さなければならなくなり、それに費やす経費と時間を鑑みると、事実上改変は不可能なのではないかと私は睨んでいる。
この「コーダ切れ」と似た状況にあるものに「小節をまたぐ連桁」がある。これもプラグインで一応簡単に実現できるとはいうものの、それはあくまで姑息的な手法であり、根本的な解決とは言い難い。
Finaleは毎年コンスタントにバージョンアップを行っているものの、開発サイドは楽譜作成ソフトとしての根幹と言える記譜機能は完成したと考えているのか、最近のバージョンアップは枝葉的な機能の付加が中心で、記譜機能の目立った改善があまり行われていない。やや古い記事(サイトを閉じてしまったのかキャッシュしか残っていないが)であるが、海の向こうでは、このようなメーカー側の開発方針に不満を示したユーザーによる、Finale 2009の不買運動の呼びかけも一部で起こったようだ。ソフト開発の大変さは重々承知しているが、Finaleの開発者にはもうちょっと本腰を入れてもらいたいものである。
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