2010年9月アーカイブ

 8月下旬、音楽之友社よりFinale User's Bible 2008/2009/2010が発売された。前版2005/2006/2007の発売から3年ぶりの改訂版である。今回はこの本にまつわるエトセトラをお話ししよう(Fianle 2011のレビューの途中に割り込む形になってしまったが、一応これもFinale関連のタイムリーな出来事なのでお許しを)。


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歴代 Finale User's Bible 左から初版、第2版、第3版


なぜ2008/2009/2010なのか?
 Finale User's Bible(以下FUB)の初版は2003/2004/2005が対象、改訂2版は2005/2006/2007が対象とくれば、改訂3版は2007/2008/2009が対象となるのではないかと心待ちにしていた方もいたかも知れない。なぜ1年空けて2008/2009/2010となったのか?

 その話をする前に、改訂2版を刊行した際にあったちょっとしたエピソードを紹介しておこう。
 現在のところ、前版のFUB 2005/2006/2007のAmazonの紹介ページにこの本に対するレビューはないが、じつは、かつてこの本がリリースされてしばらく経った頃、星2つ(1つだったかも)の辛口レビューが掲載されていたことがあった。結局そのレビューは1ヶ月くらいの期間掲載されたのち削除されたわけだが、その内容を要約すると「新版が出たので買ってみたが、ほとんど内容は同じ。高い金を出して買って損した。初版を持っている人は買う必要ない」というものだった。このレビューを書いた人の憤懣も分からないでもないが、この人はちょっと勘違いをしている。
 ソフトウェアはバージョンアップ行うことで少しずつ機能強化を図ってゆくものであるが、それは枝葉末節な部分であり、根本的な操作体系というものは基本的には変わらないものだ(Finaleの場合はそれが足枷となってしまっている部分もあるが)。したがって、操作が変わらない部分については、バージョンがいくら上がろうが、それに関する記述を変えようがない。
 一方、Finaleは毎年バージョンアップを重ねているソフトであり、バージョンアップ時にソフトの操作が少しでも変わってしまえば、以前の操作手順を載せた本に技術書としての価値はなくなってしまうわけで、いくら大本に変更がなくても、その差分を更新した解説書はやはり必要になる。仮に操作に全く変更がなかったとしても、書名に対象バージョンを明記している限り、そのバージョンより新しいものが出た時点で、その本の旬は過ぎてしまう。日進月歩のコンピュータ関連の技術書が負う宿命といえる。
 辞典も数年おきに改訂版を出す。しかし、改訂されている部分は全体の一割にも満たないだろう。その辞典に対して「内容がほとんど同じじゃないか、けしからん!」と憤慨する人はまずいないだろう。この手の本はその一割に満たない改訂部分に価値があるのだ。おそらく上記のレビュワーが1ヶ月そこらで上げた拳を降ろしたのは、お門違いの自分の主張に気が付いたからだと思われるが(Amazonが不適切として削除するような過激な内容でもなかったし)、著者の一人としても何ともバツの悪い出来事ではあった。

 話を戻そう。
 改訂3版を出すにあたって、執筆者の間でも、2007/2008/2009として出すべきかどうか検討が行われた。
 まず1つ目の問題として、2008、2009の2度のバージョンアップでは、Q&A項目が劇的に変化するような機能の改訂は行われず、内容的に目玉となるような目新しい情報を盛り込めそうにないことが挙げられた。いくら一部分しか更新されないのが技術書の宿命とはいえ、やはり上記のAmazonのレビューのようなそしりは受けたくないものだ。
 そして2つ目の問題。Finale 2008からはブロック編集メニューが消滅し、そこにあった項目は編集メニューとユーティリティメニューに分散された。FUBでは、バージョンで操作が異なる部分はバージョンごとの説明が行われているのだが、この旧ブロック編集メニューがらみの編集はFUBの根幹を成すといえるほど広範囲に及び、2007と2008を両方扱った場合、記述は煩雑になり、紙幅もいたずらにかさんでしまう。
 じつは、FUBのページ数が初版本の419ページから改訂2版の564ページに一気に150ページ近くも増えたことに対して、出版社の方から、第3版はこれ以上ページ数を増やしてくれるなとのお達しが来ていた。確かに、改訂2版では初版より紙を若干薄くして対処したとはいえ、かなりのボリュームの本となっている。現実問題として、これ以上本を厚くすると使い勝手も悪くなるに違いない。
 結局、2つ目の問題が一番のネックになり、FUBを2007/2008/2009として出すことは見送られたのである。

 現在、FUB 2008/2009/2010のAmazonの紹介ページには、星5つの好意的なレビューが掲載されている。そのレビューは、私がここで釈明しようとしたことを見事に見透かして代弁しており、私自身、自分が提灯レビューを書いたと疑われまいかと案じたくらいである。いやはや、このレビューを投稿した人には恐れ入るばかりである。


新執筆陣
 FUBは、その前身である秋山公良氏が単独で著したFinale Bibleの流れを汲んでいる本であり、FUBの初版の際も秋山氏が中心になって企画立案&執筆が進められた。しかし、その後秋山氏はFinaleのライバルソフトであるSibeliusの方にすっかり傾倒してしまい、最近は自分が教鞭を執る大学の授業でFinaleを使っている程度で、プライベートではほとんど使わなくなり、バージョンアップの度に改訂される新機能について行けなくなったという。「機能を把握していない者が執筆しても仕方がない」という理由で、自ら執筆陣からの離脱を申し出てしまった。
 FUBは私を中心に企画が進められることになり、これを機に新しい血を入れてみたくなった。そこで、執筆者の一人である黒川氏の紹介で、ネット上などでFinaleのサポートを精力的に行い、プレイバック方面にも明るい神尾立秋氏を新たに迎入れることにした。彼の担当した「トップノートの表示方法」などは、Finaleを知り尽くしていないと編み出せないじつにスマートな方法で、私も目から鱗だった(もし、私がそれを担当していれば、誰もが容易に思いつく陳腐な方法を紹介してしまうところだった)。FUBの大部分を担当している私と黒川氏は、どちらかというと浄書家視点で方法論を構築するきらいがあるのだが、神尾氏は我々とは異なる視点でFinaleと接しているのだろう、我々からすると思いがけない方法論を提示したりしてじつに興味深い。

 ところで、今回は私だけが「編著」となっている。私が中心となって原稿のとりまとめを行ったこともあるが、DTP作業も私一人で全部やってしまったことも理由のひとつだ。
 原稿のとりまとめについては、第2版の時も実質私が行っていたのだが、第2版までのDTP作業は秋山氏が行っている(奥付に制作協力としてAkiyama Music Designと記されている)。私もかつて音楽出版社の出版部で編集を行っていたことがあり、以前よりDTP作業はそれなりにこなしてはいたのだが、500ページを超える本丸々1冊を組んだのは初めてで、元来遅筆なことに加えて、目次や索引の作成などいろいろ不慣れなことも手伝って、結局当初予定していた5月の出版から大幅に遅れてしまった。
 それでも、自分で本を組むというのはいろいろメリットもある。FUBはとにかく譜例や図版をたくさん盛り込んでいるので、そのレイアウトは頭を悩す部分である。他人の原稿を組んでいると、最後の数行とか譜例だけがポツンと次のページに送り出されることもしばしば起こる。他人の原稿を勝手に削るわけにも行かないので、そんなときは、行間や文字間をうまく調整してページ内にうまく収めるわけだが、こと自分の原稿の場合は、うまく収まるように文章を削ったり、逆に白みが多いページは文章や図版を足したりといった調整が自在にできるのである。おかげで、今回の第3版は、文章がページをまたぐといった部分は最小限にとどめることができたと自負している。
 とはいえ、一般の人がFinaleを使ってそこそこうまく作った楽譜も、プロの浄書家が見れば、スペーシングや記号類の配置の甘さなどを指摘されるのと同様、私がInDesignのほぼデフォルト設定で組んだこの本など、組版のプロから見ればおそらくツッコミどころ満載であろう。このサイトなどを読んでみると、私ごとき組版の素人が本をレイアウトするなんぞ笑止千万という高笑いが聞こえてきそうである。
 「餅は餅屋に任せろ」という諺がある。この本のレイアウトもプロのDTPデザイナーに任せるという選択肢もあったのだが、結論から言うと、そうした場合、編集は複雑になり、出版はさらに数ヶ月遅れていただろう。痛し痒しである。


なぜFUBの図版はほとんどMac版なのか?
 じつは、これは出版元の音楽之友社の編集者から訊かれた質問である。これに対して「読者からクレームでも来ているのか?」と逆に尋ねたところ、「そういうクレームは一切来ていない」とのこと。しかし、クレームとはいかないまでも、Windowsユーザーからすればちょっと気になることかも知れない。

 理由は大したことではない。執筆者がみんなMacユーザーだからである。もしWindows環境を持たない私がFinaleのWindows版のキャプチャを撮ろうとすれば、Windowsユーザーの誰かに頼まなければならない。その際、ダイアログの数値や設定もこちらの指定通りに再現してもらわなければならない労力を考えると、FUBの膨大な図版のキャプチャを他人に頼むなどということは、人間関係の崩壊にもつながりかねない由々しき問題であることがお分かりいただけるだろう。
 それと、Windowsユーザーの方には申し訳ないが、同じダイアログのキャプチャを並べてみれば、最新のWindows 7であっても、残念ながらその美しさはMac OS Xのそれには到底及ばない。美しい楽譜を追求しようとする本であるからには、そこに使われる図版もすべからく美しくあるべきである。
 さらにもうひとつ。世の中のFinaleのWindows版とMac版のシェア争いでは圧倒的にWindowsに軍配が上がる。実際、Finaleに関する解説本の多くにはWindows版の図版が使われている。一方、楽譜浄書の現場では、DTPとの連系の良さという理由から圧倒的にMacが使用されている。FUBは作編曲家だけではなく、プロの浄書家にも携えてもらいたい本であり、そういう意味でも、一般の解説本とは異なるスタンスでありたいと考えているのだ。

 まあ、後半になるほどじつはどうでもいい理由なのだが(笑)、あえて理由を挙げるとすればそんなところだろうか。
 じつはFUBでは、Windows版とMac版で操作が異なる場合は、Windows→Macの順に説明を行う決まりになっていて、一応Windowsユーザーに配慮がなされている(配慮といえるほどのものでもないが)。


第4版はいつ出る?
 先のことはそのときになってみなけりゃ分からないというのが私の持論だが、まあ実際のところ、これもFinale 2012の内容次第である。もし、2012がメジャーバージョンアップで操作に大幅な変更があれば、当然2010/2011/2012対象として出すべきだろうが、マイナーバージョンアップに終われば、今回と同様、1年見送る可能性もありえる。
 第4版を出すとすれば、内容的にも何か違う視点を盛り込みたいとも思うのだが、ページ数の制約もあり、今のところまったく白紙である。やはり、そのときになってみなけりゃ分からない(笑)。
 一方、電子書籍も一般化しつつあるこのご時世、紙媒体でのリリースがベストなのかどうかもそろそろ考える時期に来ているかもしれない。2、3年後はまだしも、10年後のこの手の技術書は、差分を頻繁に更新でき、PDA端末等に映し出されるデジタル媒体になっている可能性は非常に高い(そんなことよりFinale 2020は存在しているのか?)。
 「楽譜を紙に印刷して使う」というアナログな光景はしばらく続きそうだが、それもそのうち電子譜面台に映し出されるようになるのかも知れない。そもそも、パソコンで楽譜を作るという概念自体、もっと違うものになっている可能性が高いのだから。

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